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『ムーミン谷の仲間たち』(ヤンソン1963 山室静/訳)という本のなかにある、「目に見えない子」を読んだことはありますか。
本の内容は、世話されていたおばさんにひどくいじめられ、おびえて姿が消えてしまった女の子が、ムーミン一家と過ごす日々に、自分のことを気にかけ大事にしてくれたムーミンママを助けようと、ムーミンパパと闘ったのち再び姿が見えるようになった、ニンニの物語です。
人から嫌なことをされて心に深い傷や痛みを負った経験のある人が、長い時間をかけてサポートを得ながら、再び自分が望む方へ向かって歩んでいくイメージの助けになればと、このお話を選びました。
暴力や無視、いじめや虐待など、人から大事にしてもらえないまま長いあいだ恐怖や苦痛を経験すると、その人は安全な場所や頼ってもいい人を区別したり、『いまここは大丈夫』という感覚がわからなくなります。そしてほんのわずかでも危険を察知するたび、その人の体内には警戒アラームが鳴り響いて身体は怯えて縮こまり、首や肩、体のあちこちを固めて、これ以上嫌なことから身を守ろうとします。リラックスとは正反対の、ガチガチに緊張した自分の身体といるのは居心地悪いですから、一人で過ごすのも誰かと一緒にいるのも苦しくなります。被害に遭って、長い時間が経ったあとも身体と心はこわばったまま苦しさが続いたり、いつも体の具合が悪いというのも言い過ぎではないでしょう。
例えば、自然界ではトラに狙われ追いかけられたシマウマが、攻撃されたり食べられないよう全速力で逃げるように、本来生き物は脅威を感じると、生命や身体を守るために闘ったり危険な場所から逃げたり、目立たないよう敵に見つからないよう息を潜めて隠れたり、また危険から身を護るために自分より立場が強いと感じる相手の機嫌を損ねないよう振舞ったり、あらゆる方法を使って生き延びようとします。
さきほど紹介した物語「目に見えない子」では、もしかしたらおばさんから皮肉を言われるたびニンニは青ざめ、怯えるたびに身体が凍りついたことによって、だんだんと姿が見えなくなったのかもしれません。自分の力では太刀打ちできない大人や、権威ある人たちとの圧倒的な力関係があるなかで、ニンニは安心してくつろいだり、好きなことをして遊んだり、誰かと一緒に楽しい時間を過ごしたり、、なんて思いつきさえ持てなかったようにも想像できます。いつまたおばさんに皮肉を言われるか、気が抜けない日々を過ごしてきたニンニにとって、ムーミン一家と過ごす日々さえ、はじめのうちしばらく不安と緊張が続いていたかもしれません。
ムーミン家で過ごすようになってからも、笑うことも喜ぶこともないニンニでしたが、ある日一家で海へ行ったとき、橋の上でパパがママの後ろにそっと忍び寄るのを知るやいなや、ニンニはあっという間にパパのしっぽに嚙みつきました。ムーミン家に来てからそれとなく気にかけてくれたママが、パパに海に落とされて危ない目に遭うかもしれない咄嗟の場面で、ニンニがパパと闘ったときにはじめて、真っ赤に怒った小さな顔が現れたのです。ニンニは自分を世話してくれたママの危機を察してパパのしっぽに噛みついて、ママを脅かそうとしたパパに闘う体勢を向けました。そしてニンニは自ら海に落っこちて泥だらけになったパパの姿を見て笑ったのです。ニンニの闘う、そして笑う姿は、彼女にとって安全が感じられないところでは凍りついていた生命エネルギーが、ムーミン一家や仲間たちと過ごし、毎日に見通しが持てる暮らしによってほどけて、再び動き出した生命システムの叡智なのかもしれません。
ニンニの物語をトラウマ体験から回復へ向かう、ひとつのきっかけの視点からたどってみました。
トラウマ体験によって神経系に大きな負荷がかかると、私たちの身体は危機的な状況で闘ったり逃げたり、凍りついたり賢明に立ち振舞ったりと、生存戦略によって生き延びようとします。子どものころ安全が守られていない逆境的な環境で過ごさなければならなかったり、養育者との愛着に不安定さが続くと、将来どれほど時間が経って大人になっても、たとえ怖い出来事があった場所から離れても、大人であるはずの自分がいま安全なところにいるのか判別できなかったり、そもそも安心がどういう感覚がわからないまま過ごすことになります。またどんなに困っていても誰かを頼るのに引け目を感じたり怖かったり、そもそも助けを求めることが思いつかなかったりと、トラウマによる影響が長く続きます。圧倒的なストレスを経験した神経系は、トラウマ的な出来事が去ったあとも、他者から非難されたり悪口を言われたり、無視されたり疲労が溜まってくると、些細なストレスが引き金になって、苛立ったり沈んだりして気持ちが大きく揺れ動き、自分ではどうにもできなくて苦しむことがあります。また誰かと同じ空間にいるのに耐えがたい苦痛を感じると、人を避けて孤立したり、乱高下する感情や外的な刺激に対する過敏さで体調を崩してしまうこともあります。
ニンニは、おばさんからいじめられて外から姿が見えなくなって、ムーミン家に連れてこられました。ムーミンママの落ち着いた雰囲気、そしてムーミンや仲間たちとニンニが過ごしたあいだに、もしかしたら目に見えないほど小さな【安心の灯り】が彼女の内に宿ったのかもしれません。ムーミン一家や仲間たちは姿が見えないニンニに不思議さを感じながらも、かつておばさんがしたような皮肉を言ったり、危害を加えることはしませんでした。次第にニンニの恐怖に凍りついて閉ざされていた世界に、仄かな明るさが宿ったことで、彼女は少しずつまわりの景色が感じられるようになったのかもしれません。また【安心の灯り】は、ニンニがお寝坊するのが許されていたり、いつでも飲めるお茶が用意してあったり、毎日の暮らしに安定した見通しがあることで、ニンニに安全の感覚が備わっていく助けになったのかもしれません。そして【安心の灯り】は、自分のことを大事にしてくれたママのピンチに、思わずパパのしっぽに噛みついて真っ赤になって闘い、泥だらけパパを見て笑った、ニンニ本来のエネルギーが再び動き出した、呼び水になったのかもしれません。
小田原カウンセリング ヒトリシズカでは、トラウマ体験によってその後の生活が思うように過ごせないと感じている方や、普段さまざまな場面で気持ちが大きく揺れ動いても、それを言葉にするのが難しいと感じている方に、身体の感覚に好奇心をもって自分に何が起こっているか、何が安心の助けになるかに意識を向ける時間をもつことで、これから自分の望みを実現していくために必要な、自らを整えて神経システムを安定していく土台づくりをサポートしてまいります。
小田原カウンセリング ヒトリシズカ
姉﨑弘美